悪いことは悪いと真剣に語る。

教師は、生徒の顔色をうかがってはいけません。
悪いことを悪いと言わなければ、頑張っている人が損をするからです。

頑張っている人を守る。
教師として大切なことですね。

もちろん、頑張っている人が、自分の芯を貫くことも学ばせなてあげなくてはならないですが!

 

先週、体育大会が終わりました。
つまり、日常が戻ったということです。
先週の金曜日。
体育大会の翌日は、多くの先生方からお褒めの言葉をいただきました。
「体育大会で疲れていると思うけど、すごく頑張っていますね」と言っていただけました。

しかし、昨日は、金曜日の頑張りがうそのようでした。
提出物を忘れる人が多い。
自習のときに無駄話をする人がいる。
つまり、自分のことしか考えていないということです。
もちろん全員ではありませんが、1人、2人の話ではありません。
3分の1、4分の1近くの人がそのような感じなのです。
その数を多いと見るか、少ないと見るかは人によって感覚は違いますが、私からすればかなり多いです。

金曜日の帰りに、「自然教室のスローガンを考えるアンケートを月曜日に提出してください」と話がありました。
私だったらその話を聞いたら生活の記録にメモをとります。
私からすれば当たり前のことです。
提出物を出す。
約束を守るということは人として大切なことだからです。
もちろん、人間忘れてしまうことはあります。
しかし、メモをとるという忘れない努力だけはします。
昨日、忘れた人に理由を聞きました。
多くが、「生活の記録に書くことを忘れました」と言います。
私からすれば、メモをとることは忘れようがないことです。
言ったときに書けばよいだけの話です。
「忘れた」とは、私には理解しがたいことです。
本当に仲間を大切にするという気持ちはあるのでしょうか。
さらに言います。
「自然教室をよいものにしたいと思うので、どんな自然教室にしたいか真剣に考えて書いてきてください。ただ単に楽しい自然教室みたいな感じのことはやめてください」と言っていました。
朝、教室に入ると、自然教室のアンケートを書いている人がいます。
真剣に書くということは、教室で、5分も時間をかけずさらーっと書くことを言うのか?

自然教室をよりよいものにしたいという気持ちをもっています。
その気持ちを考えたら、アンケートを忘れた。
もしくは、朝教室でさらーっと書くというようなことはできないはずだ。
つまり、仲間の気持ちを理解しようとする努力が足りないという自分勝手な行動だ。

さらに、昨日の6時間目は自習でした。
昨日の帰りの短活での反省で、「自習のときに話してしまいました」という反省が何個か出てきました。
それを当たり前のように反省を言う。
私には理解できない。
自習のときには話をしない。
1年生でもわかることです。
反省のときには、「次からは気をつけます」とあなたたちは言います。
確かに次から気をつければよい。
でも、それは、頑張っている人のセリフです。
話してしまった本人は、大いに反省しなければ直りません。
口だけ「次からは気をつけます」を言えば周りから許してもらえるという勘違いを早く捨てなければいけません。
そのために、悪いことをしてしまったという感覚が重要なのです。
それが、反省を淡々と言っているあなたたちからはまったく見えません。
真剣に自習をしている人に対して、迷惑をかけているということを実感しなければ、一生自己中は直りません。

学級の仲間が自習のことについて、短活のときに話をしてくれました。
どれだけ真剣に話を聞くことができたのでしょうか。
学級の問題点を言いたくて言っているとでも思っているのかい?
以前、言っていた通り、学級に問題をぶつけるのは勇気がいることなんです。
きっと、言いたくて言っているわけではないでしょう。
私ですら、学級の問題点を言うのは嫌ですからね。
ただ、私と同じで、『さらによい学級をつくりたい』という思いがあるから伝えているのでしょう。

仲間の思いに真剣に耳を傾けてください。

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