学級の問題についてストレートに学級通信に綴りました。

個々の成長を願ってものものです。

一人ひとりが自立していけるとよいです。

 

一昨日話したことと昨日話したこと。そして、あなたの成長を願って以下に綴ります。

私の学級は、忘れ物をなくすことはできません。
同じような人が忘れます。そして、毎日同じように「ごめん。忘れた」「やってあるんだけど、机の上に忘れた」「教室の机の中に忘れていった」と、弁解します。
しかし、それはすべて言い分けです。
その言葉に責任はありません。
どうしたら許してもらえるかという自分を守るためだけの言葉です。
つまり、自分が大事なんです。
できない言い分けなんていくらでも出てきます。
しかし、できない言い分けをすることで、確実に失っていくものがあります。
信頼や自己の成長です。早くそのことに気づくことができるといいなと思います。

そして、昨日の合唱コンクールの曲決め。
合唱は全員でつくるものです。
あなたがつくるものです。
だからこそ、曲決めでは私はほとんど口をはさんでいません。
私が本気で口をはさんだのは、曲の決め方についてです。
学級の約半数しか意見を出していない状態で、多数決をしようとしました。
それは、代表者が「似たような意見でもよいので、考えを教えてください」と言っているのにもかかわらず、約半数の人は無視をしたからです。
自分の考えを表明しないまま多数決を行うということに怖さがありました。
私のとらえですが、話し合いの流れとして「生きている証」が、5組には合っているというような感じでした。
その次に「時を越えて」「越えてゆけ」と続きました。
しかし、私が口をはさんだ後には、「生きている証」という意見の他に「時を越えて」という意見も出てきました。
つまり、私が口をはさむ前に多数決をして、「時を越えて」に決定したのであれば、話し合いは意味をなさなかったということです。
それはおかしいのではないのでしょうか。
自分の意見や考えをもたず、周りに流されるだけの多数決ほど怖いものはありません。
自分の考えに責任をもたない多数決はやらない方がよいのです。

私の学級は、裏で働くことができる人がたくさんいます。
周りに気遣うことができる人がたくさんいます。
しかし、学級の前に立つ人が少ない。
ほとんどの人が、誰かの陰に隠れているだけです。
自分で、自分の言葉に責任をもたない。
いや、もつことを怖れる人が多いです。
『団結』という言葉を勘違いしています。
『団結』とは、共通の目標に向かって一人一人が、頑張っていく上で培っていくものです。
けっして、誰かの陰に隠れて、誰かの指示を待つような、自分の言葉に責任をもたないような人たちの集団では団結なんて夢のまた夢です。

代表者におんぶにだっこ
それが、現状です。

仲間に与えることより、仲間から与えられることを求めている人が多い

のです。
仲間を愛すより、仲間から愛されることを求める。
少しでも嫌なことがあれば、自分に目を向けるのではなく、他人のせいにする。
挑戦するより、できない言い分けばかり考える。
ちょっとしたことで落ち込み、周りからかまってもらおうとする。

常に自分を守ろうとする

のです。

問題点について、少しも遠慮なく綴らせてもらいました。
しかし、確実に成長しています。
忘れ物でもあいさつでも、発言でも、確実に成長しています。
1㎜の成長なのかもしれませんが、間違いなく成長しています。
少しずつ表に立つ人が増え、周りによい影響を与える人がだんだんと増えてきました。

最後に、

相手から何をしてもらったかと考えるより、自分は仲間に何をすることができたか

を考えられる人に成長したいですね。

そして、毎日自分に問いたい

自分は学級のためにどんなよい影響を与えることができたか

って!

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