仲間を信じるって口では簡単に言えますが、実行するのは難しいことです。
でも、信じるからこそ絆は深まります。

それを伝えたいなといつも常々感がています。

たまたま以下の日記を生徒が書いてきてくれました。
私のことを信頼してくれていてうれしく思います。

以下の生徒の日記を引用し、学級通信を書きました。

 

給食のときに席をかえていた人がいました。
ぼくは全然気がつきませんでした。
先生はすごいです。
ちょっとしたことにも気づき、しっかり注意することができます。
ぼくは、気づきませんでしたが、気づいたとしても注意をすることはできなかったと思います。
先生は、いつも悪いことは悪いと注意してくれます。
先生は、学級を成長してくださろうと、ぼくたちを信じてくれているから注意してくれているのだと思います。
ぼくも、仲間を信じて悪いことは悪いと言える人になりたいです。

 

 

仲間を信じるってどういうことか。
私は、悪いことは悪いと面と向かって注意することは、仲間を信じることの一つだと思っています。

仲間の成長を願って、将来の幸せを願って注意するのです。
しかし、仲間に注意をすれば、心ない仲間からは、非難されるかもしれません。
そして、ほとんどの人が、非難されることを怖がり注意することができません。
これくらいならよいかな・・・と、理由をつけて注意しないのです。
仲間と向き合うことから逃げるのです。

「ちょっとくらいよい」それは、すごく怖い考え方です。
極端な例かもしれませんが、万引きを起こす人も、最初は罪悪感があります。
しかし、万引きを繰り返していくと、罪悪感が弱まり罪の意識もなく、万引きが常習化していきます。

他の例を挙げると、目標を立てたとしても約85%の人が、5日間以内に諦めてしまうそうです。
例えば、漢字を毎日1ページ勉強すると決めたとしても、「今日は体調が悪いから・・・」「明日2ページやればいっか!」など、やらなくてもよい言い訳を考えて、目標から逃げるのです。
最初は、ちょっとした言い訳を考えて逃げるだけでも、一度でも逃げてしまうとそれが当たり前となり、目標達成のモチベーションが下がっていくのです。

「ちょっとくらいよい」を許してしまえば、給食の席をかえることが当たり前になり、感覚がだんだん麻痺していくということです。
給食の席がかわることが当たり前になれば、もっとひどいことが当たり前となり、「人として」「集団として」崩れていきます。

私の考えでは、「ちょっとくらいよい」という甘えをなくしてあげることが、あなたの将来の幸せをつくるのだと考えています。
だからこそ、注意をするのです。注意は相手の幸せをつくるのです。

そして、それが学級の先頭に立つ担任の役割だと思っています。
学校や学級は組織です。
担任やリーダーが崩れてしまえば、集団は簡単に崩れます。
ある人は許され、ある人は注意されでは、集団が崩れるのは当たり前です。
先頭に立つものが相手の顔色に合わせて、ルールを変えていくのであれば、集団は簡単に崩れます。
授業中に寝ている人を一人でも許せば、授業中に寝る人が増えます。
提出物を出さない人を許せば、提出物を出さない人が増えます。
それぐらいの責任や覚悟をもって、あなたたちと接しています。

嫌われることや関係が崩れることを恐れて、間違ったことを許すということは先頭に立つものとしてありえないのです。
相手の顔色をうかがったり、言いやすい人に注意したりするのは、リーダーの役割ではないのです。

そして、責任や覚悟をもって、仲間と接していれば、私だけではなく、あなたたちも必ず信頼関係を築くことができます。
相手ならきっとわかってくれるというのが、仲間を信じることだと思います。

あなたたちの生活の記録を読めばわかるとおり、あなたたちはきれいな心があります。
私の言葉の裏を考えてくれる人がたくさんいます。
私は、あなたにはきれいな心をもっていることがわかっているし、きれいな心をもっていることを信じているからこそ、注意することができるのです。

まずは、信じるという覚悟を決める。そうすれば、仲間との絆は確実に深まっていくと思います。

 

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