私の学級の生徒は優しいです。
優しすぎます。

仲間との関係を大切にするあまり、体育大会の練習に熱が入りません。
嫌われることを恐れているのです。

そりゃ仲間からの信頼が失われることは怖いですよね。

でも、それでは、夢や目標を叶えることはできません。
ときには、夢や目標のために仲間と闘わなくてはなりません。

その一歩を踏み出させるために、以下のような学級通信を書きました。

「てっぺんの朝礼」大嶋啓介さんの言葉を引用させていただきました。

 

よく「決断した」という言葉を口にする人がいます。
しかし、よくよく話に耳を傾けてみると、じつはまったく「決断できていない」場合が多いものです。

これはセミナーなどで講演するときにもよく話し、特に力が入ってしまう点なのですが、「決断」とは、その名が示す通り、「決」めて、「断」つことに他なりません。

たしかに、人間は意外と「決」めることは簡単にできてしまうものです。
しかし、もう一方の「断」つことというのは、なかなかできていないものです。

例えば、目の前に「A」という道と「B」という道があるとします。
みんなひとまず「A」の道に行くことを決めるとしましょう。
しかし、ここで大事なのは「A」の道に進んだという事実よりも、じつは「B」の道に行くということを確実に断ち切るという点なのです。

仮に「B」を断ち切らないまま「A」の道に進んだとしても、いつかその道に壁が立ちふさがったとき、必ずその人は「B」の道へ方向を転換しようとするものです。

しかし、「B」の道にいったところで、当然その道にもいつかは壁が立ちふさがります。
ですが、他の道を断ち切れていないばかりに、結局その者はまた他の道を探そうとするのです。

大切なことは、どの道を進もうが、結局は最終的に大きな壁が立ちはだかるということです。
そのとき、他の道に進むという選択肢を最初から「断」ち切れていたなら、なんとかその壁を乗り越えようと努力するでしょう。
なぜなら、他に行く道がないのですから。

「決断」とは、「決」めて、「断」つことです。

大切なことは、別の道に行くことではなく、壁をどう乗り越えるかなのです。

 

決断をするということは捨てるということです。
体育大会で「優勝する」という目標を立てたのであれば、それ以外のものは捨てるということです。
自分の見栄であったり、プライドであったりです。
さらに言うと、ときには、仲間との関係も捨てなければなりません。
あなたたちは何度も言いますが、優しいです。
逆に言うと優しすぎます。
応援の練習では、リーダーたちは、まだ応援の声が小さいと思っていても、仲間に対して「よい感じになってきた」と伝えます。
私からすると、30点であってもです。
きっと、仲間を傷つけまいと考え選んだ言葉なのでしょう。
しかし、「優勝する」と決めたからには、現状を捨て、さらによい関係を築いていかなければならないのでしょうか。
ちょっときつい言葉を仲間に投げかけただけで、崩れるような関係ではなく、きつい言葉の裏の思いを分かり合える関係を築いていくべきなのではないのでしょうか。

目標を達成するために、嫌われる勇気をもちなさい。
そういう人が学級を成長させることができる

のです。
変わることを恐れるな!
一歩踏み出した先には、すばらしい世界が広がっています。

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