優しさは強さである の続き
なぜか…。
それは、クラス内で“足の引っ張り合い”がないからだ。
感謝を感じない、いわば“なれあい”がないからである。
“なれあい”の集団は、ルールや厳しさがない状態であり、仲間を心から信じられない不安が、必ずクラス内のマイナス競争を生むからだ。
そういったクラスでは、人のために貢献しようとしなかったり、頑張っている級友をねたむ「ひがみ」が生まれたりする。
そんなクラスが強いわけがない。
聞いているものを感動させる歌声になるわけがない。
もめごとが多いときほど、「ありがとう」の声は少ないものだ。
最も美しい日本語は「ありがとう」だと思っている。
だから…
「ありがとう」を一つでも多く言ってもらえる人になろう
「ありがとう」を一つでも多く言える人になろう。
人生の中で最も幸せな瞬間は、人から「ありがとう」を心の底から言ってもらえたとき、あるいは、心の底から「ありがとう」を言いたいと思える人に出会えたときだと思っている。
合唱の練習は、それこそ波瀾万丈だ。
うまくいくときもあれば、もめるときもある。
いけるかも…、と思えるときもあれば、もうダメだ…と思えるときもある。
それが普通だ。
でも、どんなときも、とりわけうまくいっていないときこそ、仲間への感謝の気持ちを忘れてはいけない。
学級が下向きのときほど、他人の嫌なところが見えてしまうから「ありがとう」をいう気分になれない。
だからこそ、そんなときこそ、周囲のよさを見つける努力をしてごらん。
不思議と「ありがとう」が言えるようになるから。
逆にうまくいっているときに気をつけたいことは、「ありがたさ」を忘れがちになることだ。
「ありがとう」が飛び交う、そんな幸せが当たり前のように感じ、鈍感になっていく。
「ありがとう」が消えていく…。そんな状況をつくっては絶対にいけない。
「ありがとう」は「有難う」とかく。
「有る」ことが「難しい」のだ。
生きていけば、うまくいくことはめったに起きないということ。
だからこそ、時に起こるうれしさは「ありがたく」感じるものなのだ。
そんな「ありがたい」ことを何度も起こすこと…
つまり、「ありがとう」が何度も聞こえる空間は本当に幸せなのだ。
合唱コンの練習中、あるいはコンクール後、そんな幸せな瞬間が訪れたら…
どんなにうれしいことだろう。
心の底から人に「ありがとう」を言いたいくらいに頑張ってみれば、そのときは必ず人の心を打つ合唱になるはずだ。
それが学級の強さを支える。優しさは強さなのだ。