話し合いを深めるためには本質と本音が必要の授業に書かれた感想です。

 

私は今回の話し合いでみんな最優秀賞をとりたくないのかな?
と思いました。
本当にとりたいなら楽しみなんて捨てると言ってくれるものだと思っていたけど、楽しみも必要だと言っていて、そもそも楽しむことも必要だと考えている時点で最優秀賞をとる気があるのかすごく疑問に思いました。
楽しむというのを少しでも入れるということは保険をかけておくことと同じではないでしょうか?
もしとれなくても楽しんでやれたからいいやと思いそれで済ませることができるし、少しぐらいふざけてもよいという保険です。
本気でとりにいくのに保険なんて必要なのでしょうか?
そして、楽しくやった方が思い出になると言っていました。
でも、去年の合唱コンの練習が思い出に残っていますか?
私はそこまで残っていないし、賞をとることができなくて悔しかったということぐらいしか思い出に残っていません。
だったらすべてを全力でやった方がよいと思います。
たかが数分の楽しさと、これからずっと心に残る最優秀賞。
どっちに価値があるのでしょうか?
私はもちろん最優秀賞だから、今日楽しさなんてすべて捨てて全力でやりたいと言いました。
去年もう少し頑張ればと思ったから、今年こそというはという思いで言ったのに、このままだと最優秀賞なんてとれないと思いました。
私の意見に〇〇さんがぴりぴりした空気ではやりたくないと言っていました。
私もそういう空気になるのは嫌です。
でも、それはお互いの意見があるからなることだし、何か問題があるときになると思います。
だから、それが嫌だからといってそういう空気を避け続けると、それも最優秀賞から離れてしまう行為なのではないでしょうか。
あと、ずっと楽しみなしだとつらいと言っていたけど、そういう考えを前提に話すのは遠まわしにやりたくないと言っているのと同じだと思いました。
確かに楽しみがなかったらつらいです。
でも、目先のことばかりにとらわれずに、もっと先の最優秀賞のことまで考えるとそんなこと捨てて、全力でやらないといけないと思いました。
最優秀賞と楽しいを両立させることはできません。
だから、どちらの方が大切なのか一度聞いてみたいです。
みんなが最優秀賞をとりたいと思っていたら楽しいを捨てないと確実にとれないし、楽しいをとるなら最優秀賞を捨てなければいけません。
本当にとりたいなら今のみんなの考えでは他のクラスも頑張っているのにそれでとれるなんて甘いものではないと去年のことを思い出してもう一回考えてほしいと思いました。

 

担任からのメッセージ

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