教師は同じ場所で、同じ言葉で生徒たちに語ります。
つまり、生徒は同じ内容の話を教師から聞いているわけです。

しかし、生徒の捉え方は様々です。

「1」言って「10」理解する生徒もいますし、「1」言って「0」の生徒もいます。

人生の豊かさは、聞いた話をどのように自分に取り組むことができるかです。
生徒たちには、将来幸せになってほしいなという願いがあります。

そこで、戸田 智弘さんの「座右の寓話」を引用し、以下のような学級通信を書きました。

 

 

穀物を売り買いする商人のところで、モイシュという名前の若い男が働いていた。

賃金は週に2ズウォッティ(ポーランドのお金の単位)だった。

長いことそこで働いてきたモイシュは、あるとき「自分の賃金はなぜこんなに少ないのか?」と主人に聞いた。

「もう一人のモイシュが週に6ズウォッティもらっているのに、なぜ、自分は2ズウォッティなんですか?」。

その穀物商のところでは、もう一人、モイシュという男が働いていたのだ。

「まあ、待て」「そのうち理由を教えてやる」と主人は言った。

数日後、その穀物商の家の下の道を、十台ばかりの荷馬車が隊列を組んで通りかかった。

主人は急いで2ズウォッティのモイシュを呼んで命じた。

「道に下りていって、何を運んでいるか聞いてこい」。

モイシュは道に下り、戻ってきて報告した。「トウモロコシを運んでいるそうです」。

主人は命じた。「どこにトウモロコシを運んでいるか聞いてこい」。

モイシュはまた道に下りて、荷馬車まで駆けていった。しばらくするとモイシュは戻ってきて報告した。「トウモロコシを市場に運んでいるそうです」。

「急いで下りて、誰に頼まれてトウモロコシを運んでいるのか聞いてこい」。

 荷馬車はもう村はずれにさしかかっていたので、あわれなモイシュは犬のように走らなければならなかった。モイシュは走って戻ってくると言った。「隣町の町長さんに頼まれた荷物だそうです」。

「じゃあ、トウモロコシの値段を聞いてこい」。

モイシュは、荷馬車に追いつこうと、馬に飛び乗った。戻ってトウモロコシの値段を伝えると主人は言った。「そこで、少し待っておれ」

主人はもう一人のモイシュ、つまり6ズウォッティのモイシュを呼んで言った。「道に下りていって、さっき通った荷馬車の商人たちの様子を見てきてくれ」。

6ズウォッティのモイシュは、馬にまたがって荷馬車を追った。少しして、モイシュは戻ってきて報告した。

「あの人たちは、隣町の町長さんに頼まれて、トウモロコシを市場に運んでいる商人たちでした。それで、売値を聞いて、すぐさま、それより少し高い値段で買うと申しましたら、重い荷物を運ぶのに疲れたので、うちの倉庫に荷を下ろすと決めてくれました。今、こちらに向かっています」

穀物商の主人は2ズウォッティのモイシュに言った。

「これで、もう一人のモイシュとおまえの賃金が違う理由が分かっただろう?」

<座右の寓話  戸田 智弘 著>

 

「1言われて10できる人」と「1言われて1できる人」

1できる人もちゃんとしていると思いますが、両方いた時に、どちらが頼まれる人になるかはすぐにわかります。このお話にでてくるように報酬も変わるかもしれません。

ある調査では、1言って10できる人と、1言って1できる人の違いは、

『子どものころのお手伝い』にあるといいます。

子どものころ、親のお手伝いをして育った子は、気が利く人になり、察する能力が高まります。

夏休みはたくさんお手伝いできるチャンスですね。

 

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