体育大会に向けての日記を生徒たちに書かせました。
テーマは「体育大会での団結とは」です。
一生懸命考えて書いてくれました。
そのことは、うれしかったです。
ただ、生徒たちを成長させたいと願い、以下のような学級通信を書きました。
あなたたちの日記を読んだ感想と、私の考えを述べていきます。
まず、賞状自体には何も価値はありません。
賞状がほしいのならいくらでもあげます。
プリンタで印刷すれば、いくらでも刷ることはできますからね。
100枚でも200枚でもあげることはできます。
印刷代はもったいないですが・・・。
ただ、そんな賞状をもらったとしてもうれしくないですよね。
賞状自体に価値はまったくないのです。
しかし、賞状を目指すことには価値はあります。
「賞状を取る」「優勝する」「勝つ」という共通の目標に向かって全力になるからこそ団結していくからです。
つまり、努力する過程において、結果として団結していくのです。
だからこそ、体育大会では、
勝ちにこだわってほしい
と思っています。
勝ちにこだわることで、仲間との議論がうまれ、本音を認め合える関係ができるのです。
自分の考えと仲間の考えをすり合わせ、考えがひとつにまとまっていくのです。
次に、応援するということですが、応援するということも、私からしたら結果です。気持ちのない応援は、行事が終わったあとには何も残りません。その応援に価値はないのです。
極端な例かもしれませんが、200mに出場する仲間がいたとします。
普段から自分勝手。
練習も適当に行う。
でも、足は速い。
そんな仲間を応援したいと思えるでしょうか。
少なからず、私は思いません。応援したいと思う人は、私と同じでいないのではないでしょうか。
つまり、応援ということに価値を生み出すのは、日常だし、あなたたちの人間関係なのです。
日常から仲間に与えたり、互を認め合ったりする過程があるからこそ、結果として応援に価値がうまれるのです。
さらにいうと、負けた仲間について、褒めるというのは私はおかしいのかなと思います。
この言葉だけを聞くと「えっ」と思うかもしれませんが、私は、ただ褒めればよいという考えには賛成できないのです。
頑張った人を讃えるということは大切です。
私は、そんな人間関係を築いてほしいなと心から思っています。
ただ、『頑張った人』を讃えるのです。
先ほどの例と同じで、体育大会に向けてまったく練習をしていない人が負けたとして、あなたはその仲間に「あなたはよくやった。がんばったね」なんて言葉をかけられますか。
私はかけません。
運動が苦手だから体育大会は嫌い。
疲れるから練習はしない。
と思っている仲間に「がんばったね」とねぎらいの言葉を私はかけられません。
うそになってしまうからです。
運動は苦手だけど、仲間のために頑張る。
家でも練習を頑張ろう。
などと思っている仲間には、体育大会本番に勝とうが負けようが、その仲間は讃えていきたいと思っています。
そして、そんな仲間と共に、学級をつくっていきたいと思っています。
以上のことをすべてひっくるめて、
体育大会の勝負は、体育大会前に決まっている
それが、私の考えです。
日常から、仲間から信頼されるあなたでいてください。
仲間に与えられる人であってください。
そういう人たちの集団になることができれば、体育大会は間違いなく成功するでしょう。
学級通信は58号目になります。
まだまだ、私の考えが生徒たちの心には落ちていない状態です。
よいことはかけるのですが、考えがまだ浅い・・・
何度も伝えることが大切ですね。
100回言ってわからなければ、500回伝える。
その精神で頑張ります!!